私は絵描きではありませんが、絵も描きます。私はマンガ家として仕事をしますが、マンガの専門家ではありません。時にはパッケージデザインのお手伝いもします。ショートタイムの絵コンテなども描いたりします。お酒とタバコはすっかりやめました。
でも、どんな場合でも「しゃれた感覚」の作品にしたいと思っております。
イラストレーションには文字、言語では伝えきれないメッセージを絵で伝える機能を要求されます。この伝えきれないメッセージがどんなものかを理解しなければなりません。口や文字では伝えきれないX(エックス)を絵におきかえるのですから、とんだ誤解に発展するかも知れません。それでも、そのX(エックス)を何とか見つけて、絵にするのはなかなかに面白いものです。ホントはつらいです…。
ひとコマ漫画にはイラストレーションとしてのメッセージの面白さが多分にありますが、思想力の浅さ・深さが問題です。「しゃれた感覚」の作品はどこから生まれてくるのでしょうか?それはしゃれたリカーズとのおつきあいからと思われます。
ワインを口に含み、この味の意味は何なのか?ウィスキーのストレートで喉が焼ける時、この感覚は一体何だ?…と、こう思い悩んで、それを紙にドローイング(素描)してみる。その結果は何だ?…と人知れずのうちに自分で自分に言い聞かせる。こんな訓練から「しゃれのめす感覚」が生まれてくるのではと考えられます。
イラストレーションは挿し絵のひとつですが、それを何故イラストレーションと言うのか?…と、その機能を問いただして行くと、理論的に難しくなって行き、あげくには色々な絵を見て、あれがイラストだの、単なる挿し絵だの…騒ぐだけになって、結局何もわからなくなるか、わかったとしても「それが何だ?」ということになるのです。「しゃれたイラスト」を描く人は普通はニヤニヤしていて腹黒いタチですから、つき合わずにほっとくのがいいのです。私はそれになれております。
●佐々木侃司(2000年)
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