イラストレーターという生き物

●読んでアホらし我がイラストレーション論

私は絵描きではありませんが、絵も描きます。私はマンガ家として仕事をしますが、マンガの専門家ではありません。時にはパッケージデザインのお手伝いもします。ショートタイムの絵コンテなども描いたりします。お酒とタバコはすっかりやめました。
でも、どんな場合でも「しゃれた感覚」の作品にしたいと思っております。
イラストレーションには文字、言語では伝えきれないメッセージを絵で伝える機能を要求されます。この伝えきれないメッセージがどんなものかを理解しなければなりません。口や文字では伝えきれないX(エックス)を絵におきかえるのですから、とんだ誤解に発展するかも知れません。それでも、そのX(エックス)を何とか見つけて、絵にするのはなかなかに面白いものです。ホントはつらいです…。
ひとコマ漫画にはイラストレーションとしてのメッセージの面白さが多分にありますが、思想力の浅さ・深さが問題です。「しゃれた感覚」の作品はどこから生まれてくるのでしょうか?それはしゃれたリカーズとのおつきあいからと思われます。
ワインを口に含み、この味の意味は何なのか?ウィスキーのストレートで喉が焼ける時、この感覚は一体何だ?…と、こう思い悩んで、それを紙にドローイング(素描)してみる。その結果は何だ?…と人知れずのうちに自分で自分に言い聞かせる。こんな訓練から「しゃれのめす感覚」が生まれてくるのではと考えられます。
イラストレーションは挿し絵のひとつですが、それを何故イラストレーションと言うのか?…と、その機能を問いただして行くと、理論的に難しくなって行き、あげくには色々な絵を見て、あれがイラストだの、単なる挿し絵だの…騒ぐだけになって、結局何もわからなくなるか、わかったとしても「それが何だ?」ということになるのです。「しゃれたイラスト」を描く人は普通はニヤニヤしていて腹黒いタチですから、つき合わずにほっとくのがいいのです。私はそれになれております。
●佐々木侃司(2000年)

●嗚呼イラストレーター

イラストレーションは知的生産物であることは事実です。日本の出版業界・広告代理店などは、東京に集中しており、基本的にはインテリの高級知識人が多いので、イラストレーターたちに失礼のない接し方をしますから、売れて行くイラストレーターたちは東京へと流れて行ってしまいます。イラストレーションは知的生産物だからです。では…イラストレーターとは?
小説家や作家の作品・記事などに、出版社・新聞社などから依頼されて、それらに絵をつけることがイラストレーターの職分であります。また、単行本などの表紙装幀に絵を入れることもイラストレーターの仕事となります。どれも、その絵・イラストレーションの出来具合によって、本・雑誌・新聞などの売り上げを上げることが目的なのです。
人気のあるイラストレーターなどは小説家に指名されて仕事をすることも、よくあることです。当然イラストレーターのみなさんは受注した原作文や記事原稿を読み、そこから絵になる部分を探し、魅力的な画面構成を考えなければなりません。作家や出版社の担当者が、イラストレーションの完成原稿を入手する以前に、そのイラストレーターの意図しているアイディアスケッチを複数要求し、検討することもしばしばあります。その場合は。当然、そこに新たな注文がつけ加えられたりします。そして、それらの注文にこたえ、指定された出稿日までに、完全原稿を納入しなければなりません。
つまり、イラストレーションを描くとか、制作すると言うことは、れっきとした受注産業であるということです。依頼主(クライアント)の、どんなアホな注文にも、笑ってはいけないのです。
さて、イラストレーターには、単に絵が描けるだけでなく、いろいろな物体や心象風景を描き分ける能力が求められます。例えば『金魚がタコを食うので、金魚を飼っているタコ焼き屋が倒産した』という状況…。その状況をしっかりと描きあげる忍耐とそれを超える想像力が必要とされるのです。なぜ、忍耐かと申しますと、「金魚がタコを食う」シーンの創作構成力が必要とされるからです。そして、これを劇的に構成することによって、この企画の何物かが売れるのです。「金魚鉢における非日常性」「倒産するタコ焼き屋の悲しみ」を絵画として、どう構成表現するかを「アホらしい」と思わず耐えて創作しなければならないのです。笑い事ではないのです。イラストレーターは受注産業なのです…。
さらにイラストレーターは取材能力を持たなければなりません。「芦屋のおばさま」と「大阪ミナミのおばはん」…その描き分けを要求される場合もありますから、その微妙な…というより美妙な差を造形的に知っておかなければならないのです。時代劇をテーマとする挿絵画家、イラストレーターたちは、その舞台となる時代の時代背景を熟知していなければなりません。絵にする以前の観察・取材・勉強が大変重要なのです。
かっこいいイラストレーターは、みな博学で話題が豊富です。そしてよく笑うし、笑顔がみなさん、とても素敵なのです。それはアホらしいテーマに耐えてきたからであります。
イラスト志向の若い人が増えている中、軽やかな画才を持った人も多いようですが、イラストレーターになれる人は少ないようです。フィンガータッチで、あらゆる用が足せる時代になったことも関係あるのかもしれません。イラストレーターとは、体をよく運び、頭脳をしょっちゅう動かさねばなりません。昔の百姓仕事と少しも変わらないのです。
納入したイラストが「OK」になり、ホッとしたイラストレーターが久し振りにバーのカウンターに落ち着いた時、そのバーに電話が追いかけて来て、「先程のイラストに部分クレームが入ったので至急修正して欲しい」…受話器を持ったまま血の気の引いて行く彼の顔…フリーランサーのイラストレーターは泣いてはいけないのです。オン・ザ・ロックを口に含むと「ほなら、チョット行ってくるワ」と彼は出て行きました。私は後ろのボックス席で彼を見ていました。イラストレーターはかっこイイのです。
●佐々木侃司(2000年)

「ごあいさつ」トップに戻る  「玄関」に戻る