さよならカンさん

●カンさんアルコール解禁おめでとう・オープニングパーティー
●佐々木侃司(ささきかんじ)
●昭和8年1月23日生まれ
●平成17年1月24日永眠


●平成17年1月25(火)・26(水)
●兵庫県川西市・大谷会館
●遺影
 ○撮影/井本雄三氏(大阪芸術大学)
 ○背景処理/大谷葬祭
1月25・26日の両日、カンさんに会いに来てくださいました皆さん、たくさんの弔電をお送りいただきました皆さん、本当にアリガトウございました!。当日、ご連絡を差し上げることのできなかった皆さん、本当に申し訳ありませんでした。平成十七年一月二四日午前三時一〇分、七二才の誕生日の翌日でした。カンさんはこの世を去りました。彼がこれまで、長い間イラストレーターとして活躍できたのは、只、絵が上手だったからだけではありません。住んでいた土地、訪れた土地の風景や、可愛い動物たち、そして、たくさんのお友達との出合いが作風に色濃く出ています。カンさんのほのぼのと、楽しく、そしてチョッピりブラックなユーモア漂う「カンさんワールド」は皆さんとの、良いご縁により描かせていただいたものと思います。もうカンさんの新作が“この世”にあらわれることはなくなってしまいましたが、肺を患った98年から大好きなビールやウィスキーが飲めずにいたものですから、これでもう、解禁です。是非、皆さんも「カンさんよかったね」と祝ってやってください。これまで佐々木侃司の絵と人柄を愛してくださった、皆さん本当にアリガトウございました!
遺影は奥様手編みのピンクのセーター姿、祭壇は白・黄の菊の花ではなく、カラフルで可愛いお花で飾りました。 カンさん(祭壇)に向かって「SKAL! SKAL! SKAL! カンさんアルコール解禁おめでとう!」
祭壇の両サイドには、得意にしていたパノラマ作品と、カンさんの大好きなサントリービールのピラミッド積みです。 文楽人形つかいの桐竹堪十郎さんは「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)のお園さん」とご焼香してくれました。
★ミンナ本当にアリガトウ!とっても楽しい人生だったヨ。

●カンさんの眠るまち

平成17年3月13日の日曜日、納骨終了。兵庫県川西市、能勢電車の畦野(うねの)駅から歩いて10分程、地元では紫陽花のお寺と呼ばれている頼光寺霊園で永遠の眠りにつきました。人生の半分以上を過ごした北阪急ネオポリス(大和団地)を背に、能勢・猪名川地方の、のどかな自然を見渡せる、本当にイイ寝床です。プロフィールにもありますように、カンさんは東京で生まれてから、旅順〜大連〜広島と…この年代の多くの方々と同様、戦中・戦後の動乱期に各地を転々としてきました。そして昭和30年代に入り、兵庫県西宮市の仁川(田近野町)に落ち着き、ようやく「家で暮らす安堵感」を感じたそうです。そして昭和42年、この兵庫県川西市大和に念願のマイホームを得ることができたのです。このころから強まった、東京一局集中の流れの中、大阪という東京に負けない(ハズの)フィールドがあるにも関わらず、関西からも夢と野望を持った若い世代はどんどん東京へ進出して行きました。カンさんにも、先に行った諸先輩方から再三再度の呼び出し勧告があったようでしたが、とうとう最期までこの地を離れることはありませんでした。この川西の北部は昭和40年代以降、大阪のベッドタウン(当時はそう言う表現をされましたね。)として急速に発展しました。今では外から移り住んでこられた方の方が多いくらいなのでは?と思われる程です。ですから住んでいながら、この土地のことをよく知らない方も多いようですが、実は日本史を語る上で非常に重要な地でもあるのです。源氏の発祥の地としても知られています。古くはシルクロードを渡って中国にたどり着いた品々が、さらにその中国から船に載って日本に渡って来た際、最初に陸上げされたのがこの川西だそうで、今でもその地は、そのことにちなんで「絹延橋」と呼ばれています。恐らく京都御所と直結するルートがあったのではないでしょうか?京都・大江山の手天童子の伝説をご存知ですか?大江山に住み、京の街を荒らす鬼を退治するため、御所の命により源頼光、渡邊綱らが呼び集められました。その中に伝説の美少年・坂田金時がおります。そう、あの金太郎さんです。退治された鬼の首が納められたのが頼光寺から車で10分程のところにある多田神社です。大作「手天童子」を手掛けておられた漫画家・永井豪さんも度々取材に訪れていたようです。その多田神社からすぐの所、平野という町では平野水という飲料水がつくられ大変人気を博しました。それは現在の三ツ矢サイダーなのです。カンさんは、この豊かな自然と歴史ロマン溢れた川西が大好きでした。若い時には、よく休みの日に、能勢電鉄山下駅から出るバスに乗って、日帰りのスケッチ旅行を楽しんでおりました。戦後、大陸から引き揚げてきた後、数年暮らした、第二の故郷、広島・八重町の自然の風景もダブらせていたのかも知れませんね。カンさんの最期の寝床として本当に良い所だと思います。カンさんの作風には、この川西での生活からの影響が色濃く感じられます。カンさんはこの地でゆっくりと土へと還ります。皆さんもぜひ一度、川西を訪れてみてください。
何はともあれ…カンさんお疲れさま、アリガトね。

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