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●1991年/
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■北杜夫氏の「日米ワールドシリーズ」(実業之日本社)の装幀を担当。久し振りの杜夫さん作品。
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●1992年/
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■北杜夫氏の「どくとるマンボウ医局記」(中央公論文芸特集)の季刊連載スタート。
■文芸誌「東京春秋」表紙イラスト担当。
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●1993年/
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■個展「PARADE」を大阪 茶屋町画廊にて開催。
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●1994年/
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■大人気企画、小泉武夫先生のコラム「食あれば楽あり」(日本経済新聞・木曜日夕刊)がスタート。
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●1995年/
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■阪神淡路大震災。
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●1996年/
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●10月19日(土)愛犬チャベ永眠。泣いて暮らす。Click
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●1998年/
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■間質性肺炎(肺繊維症)の発症が発覚。しかもC型肝炎のオマケ付き。3月いっぱい中津済生会病院に入院。第1期・酸素ボンベ生活がスタート。
■9月下旬、脳内出血で中津済生会病院に入院。
■大阪芸術大学・映像学科・学科長を辞任。
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●1999年/
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●大阪・本町のコピーショップの社長さんを通じて、堺のIさんより雑種犬(何が混ざっているのか見当がつかない位の雑種)をもらい受ける。佐々木家三代目ワン子は「千代」と名付けられる。ビールが大好き!
■経過良好、第1期酸素ボンベ生活終了。
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●2000年/
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■大阪芸術大学セミナー「マンガ〜CGアニメまで」(大阪府立文化情報センター)の講師を担当。
■8月、腎不全で中津済生会病院に入院。
■「マンガ文化論テキスト」(大阪芸術大学・通信教育開設に向けて)を執筆。
■経過悪化、第2期酸素ボンベ生活スタート。
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●2001年/
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■個展「HOPS SKAL! SKAL! 漫画展」を大阪 茶屋町画廊にて開催。大作!パノラマ作品群!最期の個展となる。
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●2003年/
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■大阪芸術大学を定年退職。週1回の非常勤講師を務めながらのナゾの隠居生活へ。
■朝日カルチャーセンター千里教室の「スケッチ講座」、長引く不景気のあおりも受け、受講生激減。体力的問題もありちょうど良い潮時。閉講。
■恒例の「大阪正月漫画展」に「酒呑童寺シリーズ」出品。キャリア最高傑作の評価あり。
■次回個展へ向けての新シリーズ「酒盛り鬼が島群島」製作スタート。2枚着色完成、1枚未着色。Click
■上記シリーズに並行してAhoCityの延長上シリーズ(?)「 Cosmos City & Gardenn City」製作スタート。
■NPO法人・関西クリエイターズネットワークのエージェントにより、浪華 茶臼山 堀越神社との絶妙コラボレイトが実現。将来が楽しみ。
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●2004年/
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■9月、腎臓数値の悪化により「人工透析」敢行の決定。10日〜2週間の予定で透析用の準備入院。結果的にこれが愛する我が家、安住の地兵庫県川西市と愛犬「千代」との最期の別れとなる。
■10月、経過良好。しかし突然の間質性肺炎の悪化。止むなく、これまで使用を避けていたステロイド剤を投与、長期入院へ。
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●2005年/
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■1月10日、ヤキイモ到着!翌日の朝食は、それをおかゆに入れて、大好きなイモガユ(最期の御馳走!)
■1月24日、午前3時10分…佐々木侃司永眠。Click
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